江戸~明治期 帯
えど~めいじき おび

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江戸~明治期 帯

今現在、和服において帯の装飾的役割は非常に重要な役割を担っておりますが、古来の日本においての帯の 役割は衣服の裾や前が開かないようにするために細い紐状のものを腰に巻き横や前で結ぶ実用的要素しかあ りませんでした。

今のようないわゆる和服のための帯として最初に登場したのは、小袖が発展し始めた安土桃山時代の「名護屋 帯」ではないでしょうか。

 

1592年文禄の役の際、名護屋(現在の佐賀県)を拠点に朝鮮半島から中国・明へ攻め こもうとしました。朝鮮半島経由で明から渡来したものが拠点の地名から「名護屋帯」と名付けられました。 「名護屋帯」とは長さ一丈あまり(約4m)太さが約一寸(3.5㎝)、組紐の両端に長い房が付いた紅・白・青・ 金糸などを用いた絹の組紐です。 当時は同時に「平ぐけ帯」と呼ばれる、二つ折りにして中に紙などを入れ芯した帯も男女問わず使用されたようです。

 

江戸時代の帯

 

江戸時代は帯の装飾的要素が開花する時代でもありました。慶長・寛文・元禄は小袖の装飾も豪華絢爛な意匠へ変貌していき、それと呼応するかの如く帯の巾も広くなっていき装飾的意味合いで締められることが多くなって いきました。この時代こそ和服の分水嶺と言っても過言ではありません。

寛永19年京都で発行された『あずま物語』で描かれる吉原の遊女の帯巾はおよそ5~6寸(約19㎝~23㎝)くらいで、今と比べればもちろん、江戸時代後期のそれと比べても細いものでした。しかしこのスタイルは遊女に人気があり、それを見た若い女性が真似るようになっていき徐々に幅の広い帯が見られるようになってきました。

 

女帯が広くなったのは江戸時代前期の延宝年間、京都の歌舞伎役者・上村吉弥(吉彌)によるところが大きいと言われております。上村吉弥(吉彌)が花見時に祇園で歩いている娘の帯結びをみて、それをヒントに帯の長さと巾をとり両端に鉛を入れだらりと垂らす「吉弥(吉彌)結び」で舞台に立ち、たちまち喝采を浴び巾の広い帯が流行しました。遊女から始まり、一部の若い女性の間で流行していた巾広の帯が歌舞伎役者により一気に認知され た所作と言えます。(江戸時代の服飾において遊女と歌舞伎役者はトレンドを生み出すファッションリーダー的存在でもあり、当時を 写す写真資料的役割は浮世絵です。ですので当時の浮世絵を見るとその時なにが服飾で流行していたのかよく分かります。)

 

元禄にもなると27㎝くらいの巾の帯が見られるようになり、それに伴い布地も多岐に渡ります。錦織、唐織や緞子、 金襴といった織りや刺繍はもちろんこの頃生まれた友禅染もあったようです。

帯の結び方も「かるた結び」とも呼ばれる「石畳」というはさみ帯も寛永あたりから京都で始まり、「吉 弥(彌)結び」、「水木結び」など様々生み出され帯の存在は寛文から元禄期にかけて欠かすことのできない装飾品となりました。

その後、江戸時代中期の宝暦から明和年間には「文庫結び」や「平十郎結び」、そして「太鼓結び」の原型 と考えられている「路孝結び」と考案されるようになります。

その「太鼓結び」は文化年間、亀戸天神の太 鼓橋落成時に深川の芸者が考案したとされ(諸説あり)今では帯の締め方として定着しております。

 

江戸時代は時代が下るにつれ着物の色が制限された奢侈禁止令の影響が強く見受けられます。元禄期のような着物一面を覆う文様は避けられ、裾部分にそっと友禅染を施された裾模様や褄にのみしか文様を入れない妻模様、小紋が主流となり着物自体で装飾することが難しい時代でもありました。

その一方で帯は結び方が次々と考案され、用いられる布地も綸子、緞子、金襴、繻子、ビロードなど多岐に渡り美しさを競いあったためある意味、和服における装飾の主役のよう役割でさえありました。享保期以降 帯の巾は約27㎝、長さも360㎝あまりとなり今使われるサイズに近いことがわかります。 とはいえ現在使われておる帯の巾よりは細く、これは今は画一的に規格された帯ですが江戸時代当時は締める人の背の高低や腰の大小にあわせ帯巾と長さを変えていたと考えられております。

 

明治維新後、友禅染は化学染料を用いるようになり色味が派手になり、また写し糊による型友禅も盛んでした。 織も西陣織の職人、井上伊兵衛らがフランス・リヨンよりジャガード機を導入、荒木小平が国産ジャガードを 生み出します。ジャガード機はそれまでの空引機ではでき得なかった複雑な文様を織り出すことができ、しかも量産が可能にしたことで西陣織は今に続く日本織物の最高峰です。

明治後期にはそれまでの懸念材料であった生活様式の改良を実現するため「服飾改善運動」という国家プロジェクトが推し進められました。その一連の流れから和服に改良を加える動きがあり大正時代、名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)の創始者・越原春子が考案したのが名古屋帯です。帯は着物同様、時代の流行に合わせ常に変化しており、それは現在も続いています。今後どのような帯が誕生するか考察していく中で、江戸期から明治期の帯を振り返ってみるのも面白いかもしれません。

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