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2022.05.31

東嶺円慈の買取について

 

東嶺円慈作品の買取について

東嶺円慈は江戸時代中・後期臨済宗の僧で、静岡県龍沢寺の住職です古月禅材をはじめ翠巌従真・大道文可に謁し、そして白隠慧鶴に参じます。そこで白隠の弟子として修業をつみ同門遂翁元盧と共に鵠林門下二神足といわれ、大器の遂翁、微細東嶺として並称されるようになりました。さらに東嶺円慈は『宗門無尽灯論』等著書を多く残したことでも知られております

今回はそんな東嶺円慈の買取について述べていきたいと思います。

 

東嶺円慈・経歴について

東嶺 円慈(とうれいえんじ)1721年享保6年4月14日)1792年寛政4年2月7日)は、日本の江戸時代中期の臨済宗の僧侶です。近世臨済禅中興の祖と言われる白隠慧鶴禅師(1686年 ~ 1769年)に師事したことで知られております。白隠の弟子は多いことでも有名ですが、中でも東嶺円慈と遂翁元盧の2人は鵠林門下二神足と称され特に知られる存在となります。俗姓は中村、諡号は仏護神照禅師です。

 

東嶺円慈は1721年に江州小幡駅出町(現在の滋賀県東近江市五個荘小幡町)に生まれます。父親は中村善左衛門、家業として薬屋を営んでいたと言われております。1725年(享保10年)日向大光寺(現在の宮崎県)の古月禅材が、江戸にいる島津家の招きで教化しながら中仙道を東上する途中でたまたま中村家に投宿したことで東嶺円慈と出会います。この古月禅林和尚との出会いがきっかけで、東嶺円慈は出家の志を立てたとされております。東嶺円慈5歳の時です。

 

古月禅材は日向国佐土原(現在の宮崎県宮崎市)出身の臨済宗の僧侶で多くの弟子を育て、東海の白隠・鎮西の古月と称揚された江戸中期の禅哲として知られる人物です。

東嶺円慈9歳の時、能登川大徳寺の亮山和尚につき出家し、諱を慧端とします。1736年元文元年)16歳の時、「南方発足之文」を草し、自らの名前を道果と改めました。その後も古月禅材への思いは消えず、翌年の1737年には亮山和尚の許しを得て大徳寺を出立、日向へ向かい古月下に入門し大光寺雲水となりました。

 

その後も東嶺円慈は様々な寺院と和尚の元で修行に励み、23歳になった1743年(寛保3年)に松蔭寺の白隠慧鶴に初めて対面します。松蔭寺にはこの時既に多くの修行者がいたが、東嶺円慈の資質は際立っていたため直ぐに侍者を命じられ、この時進行中の「虚堂録」解説書である『息耕録開演普説』(そくこうろくかいえんふせつ)の編集を任せられたと言われております。そして1749年(寛延2年)東嶺円慈29歳の時に白隠慧鶴よりその道に熟達した弟子に与える許可状、すなわち印可を受けるまでに至ります。

1755年宝暦5年)、東嶺35歳の時に花園妙心寺に登って微笑塔下に分座し、初めて「東嶺」と号します。その後白隠より東嶺に松蔭寺補席の講があったが、まだ未熟と応じなかったとされております。1760年(宝暦10年)4月、東嶺円慈は龍沢寺に入り、その後白隠が1769年に他界するまで白隠を支える手足として活躍します。

龍沢寺は静岡県三島市にある臨済宗妙心寺派の寺院です。建立こそ東嶺円慈ですが、開山は師匠の白隠を招き行ったことでも有名です。

 

  • 東嶺円慈は多くの著述を残しており『達磨多羅禅経説通考疎』『宗門無尽燈論』『五家参詳要路門』『神儒仏三法孝経口解』『自註 父母恩難報経註解』『碧巌百則弁』『白隠年譜』『自註 血盆経』『自註 般若心経』『快馬鞭』などが知られております。
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  • 白隠亡き後しばらく伊豆にとどまりますが1789年寛政元年)69歳のとき、尾張犬山瑞泉寺愛知県犬山市)の塔頭輝東庵に移り住み、またその翌々年には故郷の近江齢仙寺東近江市五個荘中町)へ退き余生を過ごします。享年72歳、禅の教えと白隠に奉げた人生と言えるでしょう。
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  • 東嶺円慈作品買取の注意点

    東嶺円慈作品だからといってすべてが高額買取されるというわけではありません。以下の点にご注意くださいませ。

     

    ①保存状態(コンディション)がよいかどうか

    これは東嶺円慈作品に限らず、骨董品や美術品買取全般に当てはまる条件です。

    東嶺円慈作品は掛軸など軸装された作品が多いため破れやシミ、カビ、虫食いなどがあると買取価格は下がります。

    実際に飾り、日光などで日焼けや退色をしてしまったものも買取価格が下がります。

     

    ②印刷ではなく肉筆の作品であるかどうか

    東嶺円慈作品には後世つくられた印刷も多く存在いたします。また東嶺円慈作品は箱のない作品も多く気を付けなくてはいけません。

    印刷はあくまでも印刷ですので買取不可の場合も高いと言えるでしょう。ただ素人の方ですと肉筆か印刷かの見極めのも難しいでしょうから判断に迷われたら査定に出されるのもよいかもしれません。

     

    ③購入時の領収書などは残っているかどうか

    これは作品がどういったルートで入手したものか保証するものとなります。

    デパートや百貨店などの催事でご購入されたもの、また有名な骨董店・書画専門店などで高額購入したものであるならば、購入価格を参考に買取価格を算出できるということになります。

    ただし現在の相場と当時の相場では価値が異なることもございますので、ご依頼者様が想定されている買取価格と実際の査定の際の値段が折り合わないケースもあるかと思います。その際は買取業者にご相談下さい。

     

    ④東嶺円慈買取に詳しい買取業者であるかどうか

    東嶺円慈作品の買取に限りませんが骨董品や美術品の買取には専門的な知識が必要となってきます。

    東嶺円慈作品も他の骨董品買取同様に東嶺円慈作品の買取が得意な買取業者とそうではない買取業者に分かれます。

    一般的な大手リサイクルショップでは骨董的価値のある作品を見分けるのは難しいかもしれません。

    お客様のニーズに応じた買取業者の選択をお勧め致します。

     

 

【東嶺円慈作品の買取について】まとめ
東嶺円慈(1711〜1792)は、滋賀県近江出身の臨済宗の禅僧です。古月禅材に学んだのち、駿河の白隠の弟子となり苦修練行を重ねます。白隠門下の遂翁元盧とともに鵠林門下二神足といわれ、禅と白隠の教えを探求した人物です。
 
東嶺円慈作品の高額買取査定において気を付けるポイントとして
①保存状態・コンディションが良いかどうか②印刷か肉筆かどうか③作品購入時のデパートや百貨店、有名美術店・書画専門店などでの購入価格がわかる領収書は残っているかどうか④買取査定を依頼する買取業者が東嶺円慈作品の買取に詳しい業者かどうか(リサイクルショップには依頼しない)
などが挙げられます。

 

買取方法は出張査定・宅配査定・来店査定が一般的となっております。

お客様のご事情に応じて買取業者や査定方法をお選びいただくのがよいかと思いますが昨今では電話はもちろんLINEなどを用いた画像を添付するだけの簡易査定を行う業者がほとんどですので一度ご利用されてみて相見積りをとられてみるのもよいかもしれません。

 
 

店舗 骨董茶道具古布はぎれアンティーク着物販売・買取/各種教室/呂芸

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受付時間 9時~20時(営業時間と買取に関する電話受付時間は異なりますのでお気を付けください)

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