江戸期刺繍
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ご実家の解体や先人の遺品整理などで、よくご相談を受けるのが人形の処分です。
人形蒐集がご趣味の方もいらっしゃれば、子供や孫のためにご購入された人形など理由は様々です。
そういった人形を飾る方も、昨今の住宅事情も相まって、年々減少しており、押し入れや倉庫、蔵などにしまい込んだままの人形が多いのではないでしょうか。そしていざ人形を処分する必要に迫られると、その方法がわからないというお問い合わせを多くいただいております。
そこで今回は人形処分・人形売却についてのご相談の中でも多い、「市松人形の買取」とそのポイントについてご紹介させていただきます。
おかっぱ髪に胡粉塗りされた童形の日本人形といえば市松人形ですが、その歴史を紐解くと当初から市松人形と言われていたわけではございません。それは江戸時代初期に売られていた裸人形であり、家庭でそれぞれの着物を縫って着させる着せ替え人形でした。
元々は室町時代の貴族の子供が遊んでいた人形が起源と言われており、そのころは単に「にんぎやう(にんぎょう)」と呼ばれておりました。それが江戸時代になりますと町民文化でも見られるようになります。
桐塑(とうそ)と呼ばれる桐の粉末と糊を混ぜた粘土や木製の手足に胡粉と呼ばれる貝殻を原料とする白色顔料を用い、おがくずを詰めた布で出来た胴を繋ぐという製法で売られておりました。
大きさは様々ですが20㎝くらいのものから80㎝くらいとありましたが、凡そ40㎝くらいのものが一般的ではないでしょうか。
着物は購入者がそれぞれ着せて楽しむところから当時の女子の裁縫の練習用という意味付けもありました。
男女それぞれあり男の子の人形は頭髪が筆で描かれ、女の子の人形はおかっぱ頭に振袖姿が代表的な形状になります。
手足の動くものや、三つ折れ人形と呼ばれる腰、膝や足首などが折れる精巧な人形が作られるようになりました。
市松人形という名称は主に西日本、京都と大阪での呼び名になります。それは当時の京都出身の女形歌舞伎役者・佐野川市松の顔に似せて裸人形が作られていると言われ、そのことが起因して市松人形と呼ばれるようになったとされております。
佐野川市松は非常に美しい女形であったため女性客に人気が高く、「心中万年草」の中で紺と白の格子文様が施された袴を着用した際、その格子文様も大変な人気となり、それが転じて格子文様自体を「市松文様」「市松模様」と呼ばれるようにしてしまったという逸話もございます。
ただ市松人形命名の起源については諸説あり、今後の研究が期待されます。
関西では市松人形を「いちまさん」とも愛称で呼ばれることも多く、いつしか市松(いちまさん)という呼び名が全国で通ずる名前へと定着したようです。
当初は愛玩用、裁縫練習用として用いられることが多かった市松人形ですが江戸時代後期頃から武家や皇室のご息女への調度品としても意味合いも見られるようになります。
京都の大木平蔵(丸平)や江戸(東京・日本橋)の永徳斎など名だたる名人形師がその代表格であり、市松人形は明治期にもなりますと皇族や財閥関係などの上流階級向けの鑑賞用人形としても認知されるようになりました。
明治時代の市松人形はパリ万国博覧会などに出品されるなど積極的に日本文化のひとつとして諸外国に発信され、時には外交の場面でも用いられるようになりました。
それが国同士の友好の証として贈られた親善人形です。代表的な人形が昭和初期にアメリカから贈られた「青い目の人形」と、日本側から返礼のために贈られた「答礼人形」でしょう。
「ミス東京」など日本の地名が名付けられ贈られた58体の市松人形はアメリカ各州の美術館や博物館に親善使節として寄贈されました。当時東京代表の市松人形の原型を作ったのが人形師の二代目光龍斎であり、東京の人形製作に参加したのが後の人間国宝・平田郷陽と名だたる人形師が参加した親善人形ですが、その後日米の関係が悪化し戦争へと至ってしまうのは皮肉と言うほかありません。
いまご自宅にある市松人形をご売却しようとお考えの方はこれから述べることを是非ご確認くださいませ。
市松人形は現在も作られている伝統的日本人形ですが、骨董的価値、美術瓶的価値、希少性の高い市松人形は高額での買取が可能です。胡粉が剥がれてしまっていたり、指が折れてしまっているなどのコンディション・保存状態に良し悪しでもちろん左右されてしまい一概にすべてが高額査定というわけではありませんが、それでもやはり時代のある市松人形は高額買取の可能性が十分ございます。
では実際にどういった市松人形に価値があるのか、その見分け方をいくつかご案内したいと思います。
ガラス目とは文字通り、目の素材がガラスで作られているかどうかです。時代のある市松人形の目はガラスの目に墨で黒目が描かれたものを用いられております。
市松人形の胴の部分に人形師、人形作家、工房などを示す銘がありましたら、高価買取の可能性があります。
人形師、人形作家、工房は市松人形買取において重要な要素になります。
古布とは布の骨董のことを指します。時代のある市松人形はその時代の古布が誂えていることが多いため、高品質な古布で出来た着物を着ている市松人形もまた希少価値が高い人形である可能性が十分あります。
その他にもお腹を押すと「ふいご」と呼ばれる音のなる仕組みがある市松人形や三つ折れの市松人形は高額査定であることが多く見られます。
市松人形の買取でとりわけ重要なのが②と③です。
人形師・人形作家によって査定額が大きく左右されます。永徳斎や大木平蔵(丸平)、光龍斎、平田郷陽のほか、平田郷陽の弟・平田陽光、伊藤久重、竹内益次郎といった名だたる名工や現代においても藤村光環や松乾斎東光、そして工房朋が作り出す市松人形は表情は伝統的ながらも現代的なお顔立ちであることに加え着物も古布が用いられており高い評価を得ております。
また後藤由香子など現代創作人形作家の作る創造的な市松人形も人気があり高額買取の可能性が大いに考えられます。
また江戸時代後期から明治期の江戸縮緬(江戸ちりめん)や大正・昭和初期の錦紗・縮緬といった古布を用いて作られている人形衣裳はそれだけでも買取対象になり得ます。布の質が現在のものとは異なるため、現在創作人形においても人形衣裳には古布を用いる人形作家も少なくありません。そのため人形売却の際は着物のご確認も強くお勧め致します。
市松人形の売却処分をご検討でしたら、その市松人形の価値の判断が肝要です。そのポイントは
①ガラス目
②銘の有無
③人形衣裳が古布であるか
市松人形は壊れやすく、繊細にできておりますので胴の銘の確認などで動かす場合、壊してしまわないようにお気をつけください。もし確認がご不安でしたり、価値の判断が難しいようでしたら一度人形買取業者にお任せすることをお勧め致します。
②銘は比較的多くの業者が確認するところですが③古布について詳しい人形業者は少ないかもしれません。
私たち呂芸は杉並区で35年以上培ってきた市松人形に関する知識だけでなく、人形衣裳に用いられる古布に関する知識にも自信がございます。
人形の出張査定・出張買取だけでなくweb・LINEによる簡易査定などお客様のニーズに合わせた査定と鑑定を心がけております。ご相談・お問い合わせは無料ですのでお気軽にお問い合わせくださいませ。
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この記事を書いた人
東京美術倶楽部 桃李会
集芳会 桃椀会 所属
丹下 健(Tange Ken)
創業40年の経験と知識、そして独自のネットワークなどを活かして、
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