江戸期刺繍
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黒船来港圖はそれほどメジャーな画題ではないためあまり詳しくない素人の方にはなかなか価値が分かりにくいかもしれません。
また産業革命によって欧米の工場やオフィスは夜遅くまで稼動するようになり、その潤滑油やランプの灯火として、おもにマッコウクジラの鯨油が使用されていました。この需要を満たすため、欧米の国々は日本沿岸を含み世界中の海で捕鯨を盛んに行い日本近海ではジャパン・グラウンドと呼ばれる伊豆諸島・小笠原諸島付近、カムチャツカ・グラウンドと呼ばれるカムチャツカ半島東方が好漁場として知られており、米国東海岸を基地とする捕鯨船は1年以上の航海を行っておりました。当時の捕鯨船は船上で鯨油の抽出を行っていたため、大量の薪・水が必要であり、長期航海用の食料も含め、太平洋での補給拠点が求められ。アメリカにとって日本は最適な補給地点として考えられておりました。
アメリカはすでに1846年にイギリスとの交渉でオレゴンの南半分をその領土としておりましたが、1846年~1848年の米墨戦争(アメリカ・メキシコ戦争)でカリフォルニアを獲得します。これによりアメリカは太平洋国家となり、巨大市場である清との貿易開拓が国家目標となりました。アメリカ西海岸から中国に至る最短航路は、西海岸から北上しアリューシャン列島・千島列島沿いに南下、津軽海峡と対馬海峡を通過して上海付近に至る道でした。
このため、津軽海峡に面した松前(実際に開港したのは箱館)に補給拠点をおくことが望まれ、さらに米墨戦争での勝利によりそれまで主力艦隊とされていたメキシコ湾艦隊の必要性が低下し、海軍は組織規模維持のため東インド艦隊の役割を拡大する必要が生じました。
1851年5月29日(嘉永4年4月30日)、大統領・フィルモアは、日本の開国と通商関係を結ぶことを目指し、東インド艦隊司令官の代将ジョン・オーリックに遣日特使としてその任務を与え、1851年6月8日に蒸気フリゲート「サスケハナ」は東インド艦隊の旗艦となるべく極東に向かって出発します。しかし、オーリックはサスケハナの艦長とトラブルを起こしたことで解任され、1852年2月代将マシュー・カルブレース・ペリーにその任が与えられました。
実はペリーは日本開国任務が与えられる2年近く前の1851年1月、日本遠征の独自の基本計画を海軍長官ウィリアム・アレクサンダー・グラハムに提出しておりました。そこで彼は
ペリーは彼らに開国を促す大統領フィルモアの親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は「将軍が病気であって決定できない」として返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは「返事を聞くために1年後に再来航する」と幕府側に告げます。
日本側は、会見が終了して2、3日すれば退去するものと考えておりましたが、ペリーは7月15日(嘉永6年6月10日)にミシシッピー号に移乗し、浦賀より20マイル北上して江戸の港を明瞭に望見できるところまで進み、将軍に充分な威嚇を示してから小柴沖に引き返しました。
艦隊は7月17日(嘉永6年6月12日)に江戸を離れ、イギリスの植民地である香港へ帰港します。
さらに来航翌日には浦賀には見物人が集まり始め、翌々日には江戸からも見物客が殺到しました。佐久間象山や吉田松陰も見物に赴き、その後の歴史に大きな影響を与えます。町民の中には勝手に小船で近くまで繰り出し、上船して接触を試みるものもあったが、幕府から武士や町人に対して「十分に警戒するよう」にとのお触れが出ると、実弾砲撃の噂とともに次第に不安が広がるようになったそうです。
このときの様子をして「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれます。上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を4杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか4杯(ときに船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけているとされております。
ここでは黒船来港圖の査定ポイントをご紹介します。
①保存状態(コンディション)がよいかどうか
これは黒船来港圖に限らず、骨董品や美術品買取全般に当てはまる条件ではありますが、黒船来港圖の場合紙製であることがほとんどなためシミや破れなどがあるものは完品に比べると買取価格は下がります。
②購入時の領収書などは残っているかどうか
これは持ち主が黒船来港圖をどういったルートで入手したものか調べるためのものです。
黒船来港圖はマニアックなテーマなためどこで購入されたものかなどが重要となってまいります。
デパートや百貨店の催事などでご購入されたもの、また有名な骨董店、アンティークショップで高額購入したものであるならば、購入価格を鑑みた買取価格を算出することも可能です。
また骨董店やアンティークショップの格により商品の質が担保される場合もあります。
③黒船来港圖買取に詳しい買取業者であるかどうか
黒船来港圖買取に限りませんが骨董品や美術品の買取には専門的な知識が必要となります。
そのため黒船来港圖買取を得意とする買取業者とそうではない買取業者に分かれます。
また一般的な大手リサイクル店では骨董的価値のある作品を見分けるのは難しいため避けた方がいいでしょう。
まずは持ち主のニーズに応じた買取業者の選択をお勧め致します。
場合によっては買取業者何社かに買取査定依頼を出して問い合わせてみるのもよいかと思います。
昨今では電話はもちろんLINEなどを用いた画像を添付するだけの簡易査定を行う業者がほとんどですので一度ご利用されてみて、ご不安でしたら相見積りをとられてはいかがでしょうか。
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この記事を書いた人
東京美術倶楽部 桃李会
集芳会 桃椀会 所属
丹下 健(Tange Ken)
創業40年の経験と知識、そして独自のネットワークなどを活かして、
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作品の背景や、現在の価値なども含めて、丁寧にご説明し、
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