江戸期刺繍
関東一円を中心に、全国無料で出張買取いたします。
関東の方はすぐにお伺い致します。
松井康成は1927年長野県北佐久郡(現:佐久市)生まれの陶芸家です。1993年に日本の重要無形文化財「練上手(ねりあげて)」保持者(人間国宝)の認定を受けます。
松井康成は17歳の時に茨城県笠間市に疎開し明治大学文学部を卒業すると笠間市の浄土宗月崇寺の住職の娘と結婚し住職を務めます。住職なると境内に窯を築き本格的に作陶を始まます。なかなか異色の経歴の持ち主ですね。
当初は中国や日本、朝鮮の古陶磁の習作を作っていましたが1966年に富本憲吉の弟子にして鉄絵の人間国宝・田村耕一を師事します。その際田村耕一は松井康成の練上の才を見抜き、「いろいろ試すことも大事だが作風を一つに絞ることも大切だ。練上に絞るのがいいのではないか」と助言し、以後そのことを忠実に守り作陶を進めたと言われております。
すると1969年第9回伝統工芸新作展に初出品した「練上手大鉢」が奨励賞を受賞、翌年1970年「練上手辰砂鉢」で日本工芸会賞を受賞、さらに翌年1971年の日本伝統工芸展において日本工芸会総裁賞を立て続けに受賞していきます。さらに1973年の日本陶芸展において最優秀賞・秩父宮賜杯を受賞し新しい陶磁の世界観を切り拓きました。
多色練上と轆轤を融合させたまさに独自の練上手であり、轆轤で内部から膨らませ表面に亀裂を誘発させる「嘯裂(しょうれつ)」や磁器に近い土の組成と硬質な輝きに包まれた「玻璃光」など、その作行の多様さには驚くばかりです。
1993年に人間国宝と認定されてからも創意工夫の意欲は衰えることを知りませんでした。先述の「玻璃光」は2000年代・松井康成晩年期に編み出された技法であることもその証左と言っても過言ではないでしょう。松井康成は2003年茨城県笠間市にて75年の生涯を閉じます。
松井康成は自身の作品について
「壺のような丸い形の作品が多かったように記憶しています。何故かというと丸い珠の形はこの宇宙が目指している唯一の形ではないだろうかという思いにとらわれていたからです。」
と語っております。住職でもある松井康成ならではの哲学・宗教観が垣間見える一言ではないでしょうか。極めて感覚的な表現ですよね。戦前の、それまでの陶磁はどこか「用」を意識したものでした。
松井康成は容器としてではなく造形美の究極として珠を目指したと言われています。この「用途」を考慮しない陶芸論こそ戦後陶芸が選んだ一つの道であり松井康成はまさしく、その真っただ中にいた自己と土を立ち上げた陶工の一人に他ならないのです。
関東一円を中心に、全国無料で出張買取いたします。
関東の方はすぐにお伺い致します。