江戸期刺繍
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浮世絵の歴史
浮世絵とは、江戸時代に成立した絵画ジャンルのひとつで、色彩豊かな風俗画です。
人々の生活やその時々の流行、有名な遊女や役者などの、風俗を題材としたものが多く、庶民の間で広がりを見せました。
浮世とは平安時代にみられる「憂し」からの連体形である「憂き」に「世」が付いた「憂き世」が語源と言われています。
「憂し」は「苦しい」「つらい」を意味する言葉で、「憂き世」は「伊勢物語」のなかでは「つらいことの多い世の中」という意味で用いられています。
この世は「憂き世」で嫌なことばかりという意味で使われていましたが、中世末・江戸時代初頭になると、前代の厭世的思想の裏返しとして、浮かれて楽しく、この世を謳歌して暮らしたいと「浮世」の字が当てられます。
享楽的に生きるべき世の中と逆の意味で使われるようになり、そこから「浮世絵」に代表されるように当代流行の風俗を指す「当世風」といった意味でも用いられるようになりました。
浮世絵は江戸時代から大正時代まで、様々な作家が登場し、独特な構図と画法で描かれました。
日本ではじめて浮世絵を描いたのは、江戸時代初期に活躍した日本画家、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)だと言われています。
浮世絵には大きく肉筆画と木版画、ふたつの技法があります。
錦絵は、浮世絵の中でも、多色で刷られたカラフルな木版画のことを指します。江戸時代の中頃に、技法が確立され、鮮やかな色彩は大きな人気を集めました。高級な織物である錦のように美しいことから錦絵と呼ばれるようになったようです。量産が可能になったことで、庶民も安価で手に入れられるようになり、飛躍的に発展したと言われています。
錦絵はそれぞれの役割のプロが分業で共同制作し、仕上げているのが特徴です。
まず出版社や書店に当たる「版元」が、題材を選んで企画し、「絵師」は版元の意向に沿って下絵を描きます。
次に「彫師」が下絵に沿って版木を作り、最後に「摺師」が色合いの濃淡や面積などを考えながら刷る順番を決め、版木に色を乗せて摺り上げていきます。
19世紀中頃の万国博覧会へ日本の美術品・工芸品が出品されたことをきっかけにして、日本美術が欧州で大注目されるようになりました。
日本のアートはたちまちブームを巻き起こし、「ジャポニズム」として広がりを見せます。
特に浮世絵は、美術品として高く評価され、ヨーロッパの画家達へも影響を及ぼしました。
ゴッホやモネが日本の浮世絵に多大な影響を受けたというのは有名な話です。
浮世絵には多くの種類があります。
代表的なものをご紹介いたします。
歌舞伎役者を描いた浮世絵です。
歌舞伎は、江戸時代に大成し絶大な人気がありました。
現在のブロマイドのような扱いで、歌舞伎に出演する人気役者を、人気浮世絵師が描くという相乗効果で大変な人気となりました。
美しい女性を描いた作品のことを指します。
絵師の理想の女性を描いたものや、実際に存在する遊女が名前とともに描かれているものなどがあります。のちに遊女だけではなく、芸者や町で評判の茶屋娘や絵師の妻なども描かれるようになりました。
日本各地の名所や風光明媚な景色を描いた風景画の浮世絵です。
特定の土地の風景や人々の暮らしを描いた「名所絵」と、道中の風景や風俗を描いた「道中絵」があります。
葛飾北斎(かつしかほくさい)の「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」など有名な作品が多くあります。
明治時代に描かれた、機関車などを題材にした「開化絵」も名所絵のひとつです。
歌舞伎役者などの著名人がなくなった際に、描かれていた浮世絵です。
主に役者、戯作者などがなくなった際に日本各地にいるファンに対し情報を伝える手段として描かれていました。
死絵には、亡くなった人の絵姿に、没年月日・戒名・菩提寺・辞世(じせい)の句などの情報が添えられています。
江戸時代から明治時代に描かれた様式です。一枚の版画に、漫画のコマのように、いろいろな形や種類の絵を配置しているのが特徴です。
同じ作者が描くこともあれば、複数の作者の絵が混在している場合もあります。
武者絵とは、有名な合戦や名高い武将や英雄などを描いた浮世絵です。
大昔から描かれたテーマですが、はじめて浮世絵で描かれたのは、江戸時代前期。1672年菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が描いた「武家百人一首」からだと言われています。
江戸時代後期には歌川国芳の描いた武者絵が注目を集めました。
当時、「水滸伝」(すいこでん)という小説が流行しており、それに乗じて描いた「水滸伝豪傑百八人之一個」の錦絵シリーズを描いたところ、大当たりしました。
紫式部作の物語である「源氏物語」を題材にした浮世絵のことを指します。
屏風に一場面を大きく描いたものから絵巻や画帖で詞と絵画を組み合わせ、物語を描いたものまでさまざまな形式があります。
なかでも「風流略源氏(ふうりゅうやつしげんじ)」などと呼ばれる、江戸時代の風俗に則って描かれた浮世絵は大流行しました。
江戸時代と「源氏物語」の世界が融合しているのが見どころです。
大地震は鯰(なまず)が起こしているという民間信仰から描かれた浮世絵。
1855年(安政2年)10月2日に起きた安政の大地震の後に、江戸を中心に数多くの作品が描かれました。
幕末から明治初年にかけて、横浜を画題として描かれたおよそ八百数十点の錦絵の総称です。当時の横浜を題材に、主に横浜港、商館風建物、異国人の風俗などが描かれています。
安政5年に横浜が開港され、急速に欧米文化を受け入れることとになり、江戸の人たちに向けての情報伝達として人気がありました。
「横浜浮世絵」「ハマ絵」「横浜錦絵」などとも呼ばれます。
江戸時代に流行した性風俗を描いた浮世絵です。
有名な作家が名前を変えて(変名)で描いているものもあるので、探してみるのも面白いかもしれません。
江戸時代末期から明治時代にかけて描かれた浮世絵の様式のひとつです。
多くは、芝居の中の殺しの現場などをテーマとしており、
血液や血痕などを色鮮やかに描いているため、「血みどろ絵」、「残酷絵」、また「無惨絵」と表記されることもあります。
有名な作家の作品であれば、高額買取の対象になることが多いです。
浮世絵・錦絵の有名な作家とその代表作をご紹介します。
江戸時代前期の作家で、「1枚絵」という観賞用の浮世絵を創始し、「浮世絵版画の始祖」と言われた人物です。
絵師で初めて、署名入りの絵本「武家百人一首」を刊行しました。
代表作:見返り美人、美人遊歩図
芝居絵を専門に描く画派「鳥居派」を設立した人物です。
歌舞伎の看板絵を描いて評価され、専属絵師の座を長期間にわたって独占していました。
看板絵は残されていませんが、1枚絵の役者絵は数多く残っています。
代表作:市川団十良、上村吉三郎の女三の宮
錦絵を生み出したといわれる人物です。
美人画は、中性的で可憐で可愛らしく、一世を風靡しました。
代表作:雪中相合傘、三十六歌仙 紀友則
黄表紙の挿絵や錦絵を描いた後、町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、浮世絵美人画の第一人者となりました。
代表作:ポッピンを吹く女、寛政三美人
浮世絵の巨匠です。
生前より外国でも知られていました。ジャポニズムブームから、印象派誕生のきっかけを作ったとも言われています。
90歳で病死するまで、30,000枚以上の作品を描き上げました。
代表作:富嶽三十六景、北斎漫画
わずか10ヶ月の期間に、140点前後に及ぶ浮世絵を世に送り出し、忽然と姿を消したという、謎の多い浮世絵師です。
正体は、能役者の「斎藤十郎兵衛」(さいとうじゅうろべえ)や葛飾北斎だったのではないかなど、さまざまな憶測があります。
目、鼻、まゆげ、手の仕草など役者の特徴を誇張して描く作風のため、役者本人やそのファンから嫌われ、画壇を退くことになったと言われていますが、明治時代後期には高く評価されるようになりました。
代表作:市川鰕蔵の竹村定之進、松本幸四郎の肴屋五郎兵衛、大谷鬼次の奴江戸兵衛
歌川派人気隆盛の礎を築いたと言われる人物です。
はじめは美人画などを手掛けていましたが、25歳のときに「役者舞台之姿絵」と題する役者絵のシリーズ絵を描き、人気を博します。
役者の個性を誇張して描いた写楽に対して、歌川豊国は役者を美化して描いていたことから、役者自身やファンに好まれました。
代表作:風流芸者身振姿絵、役者舞台之姿絵
はじめは美人画や武者絵、おもちゃ絵、役者絵など幅広く活動していましたが、あまり人気が出ず、35歳のときに、葛飾北斎の影響を受けて、風景画に挑戦し、風景画家としての地位を確立しました。
海外から輸入されたベロ藍という絵具を用いて、美しい夜空や水を表現した青は「広重ブルー」と呼ばれています。
代表作:東都名所、東海道五十三次、名所江戸百景
風刺画を描き、幕末から明治にかけて「反骨の人」として知られた人物です。
「歌川国芳」(うたがわくによし)から浮世絵を学び、狩野派にも入門経験があります。
代表作:名鏡倭魂 新板、髑髏と蜥蜴
歴史絵、美人絵、役者絵、物語絵など、幅広い題材の浮世絵を描いたことで知られ、衝撃的な無残絵を描いた人物としても有名です。
江戸から明治へと移り変わり浮世絵の需要が失われつつあった当時に最も大成したことから、最後の浮世絵師とも呼ばれています。
代表作:奥州安達がはらひとつ家の図、英名二十八衆句
浮世絵・錦絵の高価買取のポイント
浮世絵・錦絵を高く売るためには、綿密な準備・調査、アート市場への理解、プロのサポート、価格交渉のスキル、そして信頼性のあるプラットフォームを利用することが不可欠です。
ポイントをまとめましたので、参考にしてください。
浮世絵・錦絵を売りに出すにあたり、綿密な準備を行う必要があります。
まずは所持している作品のタイトル、制作年、サイズ、材料、技法などの情報を収集します。
そして、作者についても調べましょう。
著名な作者の作品であれば、高値が付く可能性があります。
作品のプロヴェナンス(由来)を確認し、どのような所有者を経て現在の状態に至ったかを知ることも大切です。
作品の詳しい背景がわからない場合は浮世絵・錦絵の専門家に鑑定を頼むのもひとつの方法です。
作品の保管には細心の注意を払いましょう。
紫外線に弱いため、専用のガラスとフレームを使用し、温度と湿度を適切に管理して作品が劣化しないようにします。
浮世絵・錦絵を高く売るためには、アート市場の調査が欠かせません。これは、アート市場はトレンドに大きく左右されるためです。
複数の作品を所持している場合、需要を見極め、いつどの作品を売りに出すことが得策なのかを理解する必要があります。
アートニュース、オークション結果、ギャラリー展示などの情報をこまめにチェックすると良いでしょう。
同じ作家や同じテーマの作品がどれくらいの価格で取引されているのかを分析することで、適正価格を判断することができます。
浮世絵の価格は、人気のある作家の作品は当然高値が付きますし、作品の種類によっても価格に大きくかかわります。
例えば、本になっているタイプの浮世絵・錦絵は手軽な大きさで持ち歩きできるため、昔から人気があります。一枚一枚を額に入れて持ち運ぶよりも、多数の作品を一度に見ることができることから、需要が高くなります。
価格交渉が必要になった場合に備えて、交渉スキルを磨いておきましょう。
交渉次第で、高値で取引できる可能性があります。
まずは、売ろうとしている作品の価値や、市場での需要について正確な情報を持っていることが大切です。買い手からの要望や質問には詳しく丁寧に対応すると良いでしょう。
落ち着いて適正価格での合意を目指すことが大切です。時には忍耐づよさが必要になるかもしれません。
急いだ決定だけはしないようにしてください。
浮世絵・錦絵を高値で売却するには、適切で信頼性の高いプラットフォームを選ぶことが大切です。
専門のオークションハウスやアートギャラリーを検討します。
また、インターネットを利用し、オークションサイトやアートプラットフォームを利用すれば、世界中のコレクターに作品をアピールすることができます。
信頼性があり評価の高いサイトは以下のとおりです。
・Christie’s Online
・Sotheby’s Online
・Artsy
・eBay
上記のようなサイトを利用する場合は、高品質な写真と詳細な説明を提供するようにします。作品の歴史、制作者に関する情報、鑑定証明書の有無などを含めることが重要になります。
売却にアートギャラリーや骨董品店を利用する場合、専門的な知識を持った誠実なギャラリー・店を選ぶことが大切です。
贋作などを見分けることができる確かな審美眼を持ったお店を探してください。
銀座呂芸は、業界実績40年以上の確かな目利きで鑑定を行っておりますので、浮世絵・錦絵を売りたい、価値を知りたいという方は、ぜひ当店へご連絡ください。
ご自宅に眠っている浮世絵・錦絵のコレクションはございませんか?その価値を知りたい、売却したい、とお考えの方は、ぜひ、銀座呂芸へご相談ください。
銀座呂芸は、1985年に創業し、骨董品の売買を行っております。
浮世絵・錦絵のほかにも、仏像・現代絵画・工芸品など、幅広いジャンルの買取をさせていただいております。
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また、査定金額の理由につきましても、ご納得いただけるよう、丁寧にご説明しております。
浮世絵だけではなく、遺品・生前整理などで、手放したいコレクションがあるときは、ぜひ、当店へご相談ください。
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どうぞお気軽にご相談ください。
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