江戸期刺繍
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阿部平四郎は秋田県木地山系こけしの工人です。昭和4年に秋田県川連の塗物師・阿部常輔の五男として生まれます。
昭和22年横手工業高校機械科を卒業後、高橋兵治郎を師事、昭和23年10月まで従事し木地の仕事を学びました。その一年後に自宅で木地を挽きます。
昭和24年に秋田県大湯の木地業・奈良靖規の工場に勤め茶筒や新型こけしの下木地を挽きました。翌25年に警察予備隊に入隊し一時木地から離れることになります。
昭和27年、除隊を経て木地を再開します。この頃からこけしを少しずつ作り始めると、こけし蒐集家として知られていた大浦泰英が訪れてきた際当時廃絶していた泰一郎型の復活を強く求められ復元に取り組むようになります。泰一郎型とは秋田県木地山・川連系の名工人・小椋泰一郎が作り上げた型で昭和初期に第一次こけしブームを作った天江富弥により紹介されたこともありこけし蒐集家の間では垂涎の型だったと言えます。
この出来事が阿部平四郎がこけし工人として飛躍する転機となったことはいうまでもありません。
昭和42年に開催された東京こけし友の会例会でこけし製作の依頼をされた平四郎は泰一郎型に加え米吉型を作るとこけし友の会会長の西田峯吉の目に留まります。
米吉型とは小椋米吉の作った型で、泰一郎型に比べるとかなりの童顔に思える可愛らしい表情のこけしの型です。
平四郎の泰一郎型や米吉型などの秋田木地山系の源流とも言うべき型の再現に対する熱量は凄まじく、感動した西田は所蔵する米吉型を平四郎に送り、それを元に半年の熟考と試行を重ねた平四郎は米吉型を完成させたという逸話が残っております。完成した米吉型60本は42年11月の東京こけし友の会で即完売となりました。
平四郎の古作こけしに対する研究と情熱は衰えることを知らず木地山系こけし研究の第一人者だったと言っても過言ではないでしょう。
妻の阿部陽子、娘の阿部木の実、弟子の北山賢一はいずれも平四郎の作り上げた米吉型こけしを継承し今も活躍されております。
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