江戸期刺繍
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ヨーロッパ更紗とはインド更紗の影響を受け主に17世紀以降ヨーロッパ各地で作られた更紗のことを指します。
大航海時代、ヨーロッパの東インド貿易は香辛料とともにインド更紗というそれまで見たことのない綿織物をもたらしました。それまでのヨーロッパには綿花を栽培する文化がなく布地自体が新しくインド更紗はヨーロッパの貴族階級の間で爆発的流行することになります。
16世紀末にフランス・マルセイユ港に上陸したインド更紗はフランス各地、スイス、ドイツ、スペインへ、イギ リスとオランダは東インド会社経由で伝わりそれぞれの国の特色を生かし新しいコットンプリントが生まれました。ヨーロッパ更紗、その最右翼はやはりフランスでしょう。
貴族階級中心にインドからの輸入更紗が増え続け16世 紀後半にはマルセイユに最初の更紗工房が生まれます。しかしその手法は分からずなかなか完成はしませんでした。 その後フランス各地でインド更紗旋風が巻き起こり、その勢いは全国規模にまで到達しました。それは同時にフランスにもともとあった絹などの染織業者達の反感と恐怖を生み、そしてインド更紗輸入により資金流出し財政悪化が顕著に見られ1686年更紗禁止令が布告されます。これにより芽生え始めた国産更紗生産の道は1759年まで潰えることとなりました。
更紗禁止令が解かれても更紗生産技術は途絶えてしまっていたフランスでの再建は容易ではありませんでした。そんな中パリのバスティーユにひとつの工房が立ち上げられました。
責任者の名はクリストフ=フィリップ=オベルカンフ、ドイツ人でもあるこの技師が今後のフランス更紗黄金期の礎となります。オベルカンフはその後、パリ郊外のジュイという地に自ら工房を作ります。このジュイ工房がインド更紗と同じ質のフランス更紗を作ると評判になりジュイは 更紗の町として有名になります。
インド更紗と比べ写実的であり花鳥・牧場的風景・天使・物語文様など西洋風アレンジを加えたその作風は瞬く間に広がり、マリー=アントワネットの寵愛を受けるほどでした。当時のフランスはロココ時代、異国趣味が好まれシノワズリ(中国趣味)・ジャポニズム(日本趣味)・そしてインド更紗風の型染め模様は宮廷文化の象徴するスタイルとなりました。マリー=アントワネットの別荘の内装は特別注文したフランス更紗で覆われていたことからも熱の入れようをうかがい知ることができます。
オベルカンフの流行はすさまじいものがあり、一時フランス更紗をすべて「ジュイ布」と呼ばれるまでに至ります。 これは「ジュイ」という名がフランス綿織物の歴史の中で最も高品質な更紗の代名詞であった所作と言えましょう。 当初ジュイ布は木版を用いていたのですが当時の版画技術を応用して木版を銅版に、そしてローラー染めへと進化 させ、より絵画的な描写がされた更紗の生産・量産がされるようになりました。「トワルドジュイ(ジュイ布のフラ ンス語名)」はここにある意味成熟期を迎えたと言っても過言ではないでしょう。
日本で馴染みのあるヨーロッパ更紗は江戸時代交易のあったオランダではないでしょうか。またインドでの 権益争いにそのオランダに勝ったイギリスによる綿織物も江戸後期~幕末期の日本に輸入されております。
それぞれの国で配色やモチーフにこだわりが見えるのですが共通するのはその生産方法です。 銅版とローラー捺染という技法は手工業のインド更紗とは真逆の方向ですが産業革命を遂げたことによる紡績機の 開発はその質の差を一気につめ、特にイギリスはインド綿花を大量輸入し綿織物を輸出の基軸ともしたため、インドでの綿産業は著しく衰退させる要因にもなりました。 日本にも唐桟留という、本来はインド・コロマンデル地方の縞に織られた綿製品を輸入していたのですが、幕末期にはインド綿花を用いたイギリス産唐桟留が入ってくるなど当時のイギリス綿産業の勢いを感じます。
ヨーロッパの伝統工芸に「カルトナージュ」と呼ばれるものがあります。カルトナージュとはフランス語で「厚紙細工」という意味し、厚紙で作られた箱に布や紙を貼り美麗に仕上げた工芸品です。 このカルトナージュにフランス更紗、「トワルドジュイ」をはじめ、ヨーロッパ更紗が用いられることも多く 見られます。
またヨーロッパ更紗はコンディションのよいものは切らずにそのままカーテンやシーツなどヨーロッパ本国と同様に日常生活品の彩として使用され、今でも人気のある古布のひとつです。
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