江戸期刺繍
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阿部広史は明治31年、阿部金蔵の長男として福島県土湯に生まれます。父・金蔵の家は「松屋本店」という旅籠を営んでおりましたが水害により旅籠を止むなく閉業し木地業を専業としました。
広史は大正3年17歳頃より金蔵について木地修行を始め、大正末期よりこけし製作をするようになります。
父・金蔵の体調が思わしくなくなると広史が度々「金蔵」名義でこけしを制作しておりました。これは広史が自発的に行ったというよりこけし蒐集家が広史に金蔵名義で作るようオーダーしたようです。しかしそおの実力は折り紙付きでこけし蒐集家として名高い橘文策に「眼細く紫蛇の目に胴も細く、情味の濃い作。寡作家の金蔵よりも上手かったかもしれない」と賞されるほどでした。
阿部金蔵は昭和7年に亡くなっていますが、昭和5年くらいまでの金蔵名義のこけしにはかなりの数で広史の手による作品も含まれています。ただ作行きは金蔵・広史ともによく似ており前髪とカセ、目の描き方が違うとされておりますが正直見分けることはなかなか難しいかもしれません。
昭和29年に土湯で大規模な火事があり土湯に伝わった古い文化が失われてしまいましたが復興を機に足踏みロクロから電動ロクロへ切り替え土湯再興へ尽力します。
阿部広史は戦後の土湯系こけしを支えた工人として佐藤佐志馬と共にその功績を高く評価されております。
阿部金蔵・広史と伝えられた金蔵型こけしは広史の長男・阿部計英に受け継がれましたが広史は昭和59年に、計英は平成29年にお亡くなりになりました。
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