江戸期刺繍
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藍染とは藍液で綛糸(かせいと)、布帛、紙などを濃紺・紺・藍・納戸・縹(はなだ)・瓶覗(かめのぞき) などの色に染めること、もしくは藍で染色したものを指します。
藍染の原料は主にタデ藍ですが、紅花、紫草とともに古くから用いられた染色植物でありその歴史は諸説ありますが奈良時代の遣唐使により大陸から持ち 込まれたというのが有力な説でしょう。
平安中期、藤原時平らに編纂された『延喜式』によればその頃からすでに各諸国で栽培されていたとの記載もありますが、藍染は高貴な色として用いられており庶民生活における重要な染色に至ったのは江戸時代の木綿栽培普及以降となります。
藍染を家業とするものは紺染屋・紺屋・藍染屋と称され都市部、農村部関わらず重宝された染色職人だと言えます。江戸時代以降、阿波・徳島藩において阿波藍は殖産事業となり、また各地の農村でも藍と木綿が奨励され広く栽培されるなどして庶民の生活に一気に普及するようになりました。
植物性繊維の木綿を当時の染色技術では赤色系に 染めることができなかったのですが(当時の赤は日本古渡更紗のみ)藍は染色しやすかったのも藍染木綿の普及に一役買いました。それから紺縞・紺絣・紺法被・紺刺し子(刺子)・野良着・掻巻(掻い巻き・夜着)・紺手甲・紺脚絆(きゃはん)などほとんどの衣料はもちろん布団皮や風呂敷、暖簾に油単と日常生活におけるあらゆるものに藍染が用いられるようになりました。
藍染は布帛を強くする働きがあり、摩擦以外の洗濯や日光にも堅牢であり汚れも目立たず生活の基盤ともいえる染色でした。また、珍しい使用例としては火縄銃の火種の芯としても用いられたことが挙げられます。藍染の糸は編むとじわじわ と細く長く燃え続ける性質があり、先端に火をつけ持ち歩いたそうです 。
ありとあらゆる場所において藍染を用いていたため、明治初めに来日した英国人化学者のロバート・ウィリアム・ アトキンソンはその光景を「ジャパンブルー」と称し、欧米に日本=藍染のイメージが定着するようになりました。
明治以降も江戸時代同様、生活の基盤に藍染があったのですが合成染料が普及するようになると植物染料の藍染の需要が落ち、さらに安価で染められるインド藍が導入されると国内の藍染生産は衰退することとなります。ただ近年では藍染の価値は再評価され始めており、自然染料の藍染は化学染料とは異なり洗うと流れてしまうのですが、それがかえっていい色味になり、手作業の程よい素朴さが感じられ非常に人気のある古布のひとつと言えます。
また東北地方や山間部において木綿栽培は風土的に向かず木綿自体が貴重な布地と言え、藍染に染めた野良着や足袋、風呂敷、布団皮などに刺し子(刺子)を施し耐久性を上げるとともに、破れては継ぎ接ぎし、を繰り返し使用されました。まさに襤褸切れ・ボロ布なのですがその風味こそ「襤褸(らんる)」と言われる、近年アメリカ・ヨーロッパを中心に見直されているジャパンブルーとなっています。
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